Chapter 1

 午前0時をとっくに回り、ぼーっとお気に入りのソファの上で気だるい深夜番組を見ながらうとうととしかけていたころ、玄関のチャイムが鳴った。ふっと顔を上げて壁にある時計を見、誰だ一体こんな時間に、と思いつつも、しぶしぶソファから起き上がって、のろのろと玄関まで歩いてゆき、鍵を外してドアを開けると、そこにはいつもよりちゃんとしたジャケット姿で、べろんべろんに酔っぱらった福島明が立っていたのだった。
 ちわーす! 三河屋でーっす! と開口一番に言われ、訳も分からずに野田が目を丸くしていると、福島はまた「おす!」とやたら元気な声で言い、その辺りでやっと野田のほうもとりあえずの平静を取り戻して、しかしなかなか言葉にはならず、うろたえながら辛うじて、「……お、お前、何してんの?」と訊ねると、福島は眠たげな様子で、んー?と応じ、あー、お前、あれだよ、と、管を巻くようにしながら、とりとめもなく、
「あのさー、終電さあ、のがしちゃってさー! それで、お前ん家さ、ほら、ここの近くだったの思い出したからさ、それで」
「いや、お前」野田はいまだに状況を把握できず、「え、えぇ……?」
「ちょっ、ちょっちょっちょっ、と、上がらしてえ」
 自分の脇を通り過ぎ、福島が勝手に家の中に上がっていこうとするので、野田は慌てて「おい待て、なにおまえ人の家勝手に上がり込んでんだよ!」と言うのだが、それが聞こえているのかいないのか、えっへっへ、うーい、と上機嫌につぶやきながら、しかしそれでも律儀に靴は脱ぎつつ、文字通り転がり込むようにして福島が奥に入っていってしまうので、野田が困惑しながら追いかけると、リビングでは、さっきまで自分が寝ていたソファの上に、福島が背中からどさっと飛び込んだところで、ひととおり何事か声を発したのち、それからぴったりと動かなくなった。
「……」
 しばらく唖然として、その場に立ち尽くしていたのだが、そんなことをしていたところでこのやたらと図体だけはでかい、幼なじみの男が目覚めるはずもなく、ただ感心することには、ソファからも落ちたりせずに器用に寝返りを打ち、静かに寝息を立てているばかりだったので、野田は一人ため息をつくと、これからこの男をどうするべきかと思案し始めた。
 この、今にもソファから体がはみ出してしまいそうな男は、とりあえずせめて何処か別の場所に動かしたいとも考えたのだが、かといって自分の寝床を譲るわけにもいかず、しかも、経験からして泥酔した酔っ払いに絡むと大抵ろくなことがないし、というかまあこの酔っ払いの男は、あくまで勝手に(自分の了解もとらず)うちの中にズカズカと入り込んできただけなのであるし、どうせそいつが今更ソファから転げ落ちようが何しようが、別にこの俺の関知すべき所ではないのかもしれない、とも思い直し、仕方がないので毛布の一枚くらいは掛けてやることにして、後は放っておこうと決めた。
 とりあえず、押入れから軽いタオルケットか何かを引っ張り出して、それを持ってソファで深い寝息を立てている福島の元に戻って来、自分の胸の前でそれをばさりと広げると、この哀れな、しかし本人は間違いなくそうは思っていない、酒に飲まれた男の上へと掛けてやり、その当の福島は気付いているのかいないのか、もそもそと再び体を動かすと、くるりとこちらの方に体の向きを変え、そのせいで、毛布はするすると静かに床の上へと落ちた。
 野田は舌打ちし、再び軽いため息をつくと、毛布を拾い上げ、もう一度福島の上へとかぶせてやろうとしたのだが、その時、福島が再び体をよじりながら、呟くように、「ん、エミちゃあん……」と寝言を言ったので、野田は一瞬はっとし、それから、あきれるような、憎たらしいような目をしながら、福島の顔をじっと見た。


「エミちゃあん、好きだよぅ、チクショ……」と、福島は唸るようにして呟き、それからほんの少し身じろぎをしたあと、またすぐに大人しくなった。誰だよ、アホか、と野田は思いながらも、ふとその途端に、この勝手な振る舞いに対する仕返しというか、ちょっとした悪戯心というか、そうしたものが野田の頭を一瞬だけよぎり、や、それはマズいだろ、と心の中で思いながらも、そっと、福島を起こしてしまわないように、そのふっくらとした肉づきのよい頬を、つい、愛でるようにして、そっと撫でてしまい、それから指先を、頬からゆっくりと、あごの方へ、そして喉へと、這わせるようにして持っていった。そしてしまいには、シャツのボタンが一つ開いてひらけている、胸元のほうにまで、その手をつたわせていってしまい、そこの所ではっとわれに帰って、おい、おい野田正樹、てめえ一体何をやってるんだ、と理性で必死に行動を押しとどめようとするのだが、その思いに反して、なんとなく本能には抗えず、いや、会ったのがかなり久しぶりであったのと、その開いている胸元につい、クラクラッ、と来てしまったのと、ほら、こいつも何だか眠りにくそうにしているし、上着でも脱がせてやった方が、むしろ本人のためにも良いんではあるまいか、という今一つワケの分からない言い訳と一緒に、その手はついに二つ目のボタンを外すところにまでやってきたわけだが、そこでようやく、ようやく思い留まって、そのこわばった手のやり場をごまかすように、「お、おい。福島。起きろ」と顔をペチペチと叩いたのだった。
「うぅーん……」
「おい、このまま寝たらまずいぞ。とりあえず服脱げ、服」
 この期に及んでも、なお服を脱がすことに固執していることに、自分でもなんとなく笑えてしまうのだが、まあ傍から見て、寝苦しそうだったのも事実といえば事実で、福島は猫がごろつくような声を出しながら、ゆっくりと体を起こすと、ふすー、と息をした。
「分かるか。ジャケット脱がすぞ」
「んー」
 思ったよりはるかに深く酔っていた様子で、お前絶対に分かっていないだろうといった感じに、福島がうなづいたので、まず上に着ているジャケットを脱がしてやり、それから、これ以上起こしているのも面倒くさいので、またその福島の体をソファに戻してやりながら、上のボタンをもう一つくらいプチンとはずしてやり、それから、下半身のベルトに目をやると、それを外して、ゆるめてやった。
 つい、試しに、股間の辺りを撫でるようにして触った。
 福島は、深く息を吐いただけだった。
 こいつ、実は酔ってる振りをしてて、全部分かっていながら誘っているんじゃないか、と思いながら、野田はふうと息をつき、急にアホらしくなってやめ、立ち上がると、床に落ちたままだった毛布を、また上から福島にかぶせてやり、それから持っていたジャケットをソファの背もたれに畳んで掛けて、ぱちんとリビングの電気を消してしまうと、自分も部屋のほうに戻っていき、ベッドの中にもぐりこんで、そのまま寝た。
 壁の時計の時刻は、すでに、午前1時を過ぎていた。

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