Chapter 5

 で、それから数日間は何事もなかったかのように過ぎていったのだが、ある日、野田が職場にやってくるなり、鶴橋さんという名前の女性が――たしか彼女とは同期だったと思うのだが――野田の元へやってきて、開口一番、
「あの、野田さんって、もしかして福島君ってひと知ってますか?」
 と言ってきたので、いったい何事かと思い、ど、どの福島、とかろうじて聞き返したのだが、鶴橋さんは「福島明君、ほら、野田さんみたいな感じの……」と、手でなにかの幅を示すようなジェスチャーをしたので、失礼な、と思いながら「そいつなら、たぶん前までウチに来てたよ……」と言うと、やっぱり!と鶴橋さんは頷いて、ああそういえば、この人の下の名前はたしかエミというんじゃなかったか、ということも野田は同時に思い出し、ことの繋がりをその時はじめて認識したのだった。


 その鶴橋映美さんからその後「時間ありますか?」と訊かれ、まあ、昼食のときなら大丈夫だけど、ということで、二人して近くの定食屋に行き、そこで彼女から話を聞くことになったのだが、まあ要は、数日前に福島が野田の家を嵐のように去っていってから、待ち合わせていた相手というのが他でもない鶴橋さんで、いや、福島君のほうから誘ってきたんですけどね、というのは彼女の弁なのだったが、それからその日は昼ごろから映画を見、それから少しばかり買い物をして、最後はイタ飯屋でご飯を食べて別れた、というので、それ、つまりデートだったんですか、と言うと彼女は目を丸くして、
「やだ、そんなんじゃないですよ! どうしてそういう話になっちゃうんですか!」
 と全力で否定されて困ってしまったのだが、となると、肝心の福島のほうの魂胆とはなんだったのかという話になるわけであり、そしてそれは最初の日に偶然聞いてしまったあの寝言の通りであって、まあ、何というか、福島哀れ……と思うことしきりなのだったが、それらはあえて口に出すことなく、あくまで平静を装って「あ、すいませんでした」と軽く答えるにとどめた。
 というか、そもそもこの二人の出会ったきっかけというのが、あの福島にビデオ出演を持ちかけてきた例の寺田という奴で、彼と鶴橋さんは大学のとある映画サークルで知り合ったらしいのだが、そのころの寺田君って、なんというかちょっと前衛的っていうか、よく分からない映像作品ばっかり撮ってる人って感じで、でもそのちょっとよく分からないところがまた面白かったりしたんですけど、それがなんでAVなんか撮る人になっちゃったのかなあ、と鶴橋さんは呟き、まあ、そっちの方が金が入りやすいからじゃないすかね、と野田は無責任な感じに答え、そんでもって、大学卒業後、今度はまた偶然に繁華街で彼女が寺田くんと遭遇したとき、ちょうど彼氏とささいな事でケンカをしていてストレスの溜まっていた鶴橋さんは、彼の「合コンしようよ合コン」の声につい乗ってしまい、そこでようやく福島と知り合うに至った、というわけなのだったが、
「ちょ、ちょっと待って!」
「はい?」
「鶴橋さん、彼氏いるんだ?」
「あっ、いますよ。だから福島君とはそういうのじゃないって言ったじゃないですか」
「……」
 まぁ、それはともかく、そこで出会ったその福島という、やたらと体格のいい、というか、むしろ恰幅のいい、ぽっちゃりした、つまり太った、でぶの男が、話してみると案外面白くて、というかさっきから、男性を形容するときに面白いという単語を使っているのに対して、それは褒めてるのか貶してるのか、と聞いたところ、「ほめてますよ! いい友達っていう意味です」と答えられ、いや、なんていうかもう、お腹いっぱいです、という感じだったのだが、その後その福島という男とまた会う約束をし、それで数日後にまた再会したとき、そういえばさ、最近野田っていう友達んちに遊びに行ったんだけど、と福島が切り出し、あいつん家にでっかいソファがあってさ、それが二十万もするっていうやつらしくて、考えられなくね? という話に何故かなって(その話の振り方も、野田からしてみればかなり不本意であったのだが)、まぁ、でも実際、家具って高いものはそれなりに高いし、そこにナニガシかのこだわりを持ってるんならいいんじゃないかな、と最初はそのあたりの話題は軽くスルーしていたのだったが、福島がその野田という友達の特徴をいくつか挙げていくうち、それ、うちの会社の野田さんって人に似てる、と思い、そこで福島がその友達の「ルームメイト」から聞いたという(いつの間に?)彼の勤める会社名をいい、そこで完全に二人の人物像が一致した、という事らしいのだった。
 ふうん……、と野田はつぶやいて、唐揚げ定食の白飯だけを上手に食べ終わると、その辺で暇そうにしていたおばちゃんにおかわりを頼み、それから手元の味噌汁をすすっていると、そこで今度は彼女が、「あの、野田さんと福島くんはどういうお知り合いなんですか?」と尋ねたので、次は野田が鶴橋さんに昔話をすることになった。
 野田が福島と初めて出会ったのは小学生の頃で、小五のとき偶然同じクラスの同じ班になって、それから急に親しくなったヤツだったのだが、福島の家には、福島の兄キの持っていたファミコンのソフトがたんまりとあり、それで学校が終わってはランドセルを背負ったまま、福島の家にそのまま行って遊んだりしていて、そのうちに、その兄キや福島の妹や親御さんたちとも適当に親しくなって、そうやってうだうだ過ごしているうち、やがて中学生になり、高校生になり、まぁそんな感じで、要はあれですよ、いわゆる腐れ縁っていうか、幼馴染みたいなのが今もってずっと続いているというか、と言うと、へえ、男の友情ですね、と鶴橋さんは言い、傍目からすればそんなような言葉で片付けられてしまうものか、と野田はぼんやりと思った。
 
 
 高校に上がってからしばらくして、福島は学校をやめたのだった。
 もともと学校になじむようなヤツではなかったかな、と今でも思うし、授業や中間テストは何食わぬ顔でサボってしまうようなタチで、それが教師たちの反感をかい、それが更に福島を煩がらせて、そのおかげで福島も今度は学校の外で妙なやつらとつるんだりし始め、何やらごたごたとやっていた挙句、担任の教師などからも、お前はもう学校は辞めた方がいい、その方が色々お前のためだ、と促され、そのままに退学してしまったのだった。ある意味では当然の成り行きだとも言えた。
 お前さ、これからどうすんの、と、居場所もなく部屋に遊びに来ていた福島に野田が訊くと、あー、働くよ、と福島は答え、野田の部屋にあった、近頃ろくに鳴らしていないギターを取り出して、ベッドの端に座りながら、それをボロンボロンと弾きながら古めのポップスを歌った。福島は、ギターの腕は野田と大して変わらず下手だったのだが、歌の方はなかなか上手く、サマになっていた。俺、ミュージシャンになろうかな……と福島が言い、なれば? と野田が軽い調子で答えると、福島はギターを抱いたままごろんと横になって、そうだなぁ、なっちまうかなぁ、とひとり呟きながら、その弦を、まるで子供がもてあそぶみたいにボーンとはじいて鳴らした。
 そんな風にして、福島はいろんな友人の家をめぐり歩いていたらしく、家にはほとんど帰ってはいないようだった。お前んちが一番居心地いいよ、と福島は言い、お前もおばさんもおじさんも、そっとしといてくれるしさ、ありがたいよ正直、と言って笑った。野田は「そっか」と答え、特に何も言わなかった。その後、福島は東京へ行き、野田も一浪したあと、大学へ行くために福島を追いかけるようにして上京した。福島の噂は、それからもちらほらと聞いてはいたのだが、大学を卒業して、親戚の家を離れて新居に住み始めた時からは、めっきり聞かなくなっていた。
 あれから、もう何年も経っていた。さびしそうにギターを手なぐさみにする、あの悲しげな背中が、今でも忘れられなかった。

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