Chapter 7

 それから桃谷さんと鶴橋さんの二人は買ってきた材料の下ごしらえをし始め、全員でこんな狭い台所に立たれても邪魔になるだけだ、と事もなげに言われて手持ちぶさたになったので、野田はソファに座ってぼけーっとテレビを見ている福島を放っておいて、風呂場へ亮太の様子を見に行った。
 洗面所を覗き込むと、亮太はちょうど風呂から上がったところで、裸のままほのかに火照って水滴のしたたった体をバスタオルで拭いており、そのタオルの隙間から、股間から下がる、ぶるんと小振りで丸々とした睾丸とペニスが見え、おっ、と思ったのだが、亮太が野田のことに気がついて声を上げながら慌てて股間をタオルで隠し、おまけに手元の白いカーテンを閉められてしまったので、すぐに見えなくなってしまった。風呂場の電気がまだ点いていたので、カーテン越しにその太いシルエットが淡く透けて見え、つい目をやってしまい、それを誤魔化すように野田は平然とした調子で、
「おぉ、上がった?」
「あ、はい……」
 さっきのが恥ずかしかったのだろう、亮太はややしょげた口調で、カーテン越しの声はややくぐもって聞こえるようで、野田はそれを受けてわざと明るめな口調で、
「着替え、そっちに置いておいたから、分かる?」
「うん」
「ごめんな、あんまり合いそうなの見つからなくてさ」
「ん」
「なるべく丁度よさそうなの選んだつもりなんだけど、ちょっとデカいかもな」
「……ん」
 うなずきながら、亮太はただ静かに体を拭いているばかりだった。
 言葉を選びつつ話しかけようとするのだが、会話は続かず、そういえば野田が大学へ通うために鶴橋のおばさん家に居候し始めたときも、当時小学生だった亮太くんは最初こんな感じだったなあと思い、それから4年間一緒に暮らしたので大分懐かれもしたものだったが、それもだいぶ昔の話であるので、親密さも元に戻ってしまったかな、と少しだけ残念に思うと、カーテンの向こうの亮太は再びぶぇくしっ、とくしゃみをした。
「やっぱ風邪ひいた?」
「ん……」
 やはり亮太は呻くようにして答えるだけで、まあいいか、と野田は思い、リビングに戻ろうとすると、
「最初から、風邪ぎみだったから」
「え?」
「あの、今、なったんじゃなくて……その、風邪ぎみなのは、ここにくる前から、元からで」
「はあ」と、野田は眉をひそめ、「風邪ぎみなのに来たの?」
「あ、でも、そんな大したことなくて! ……それに、そんな、すぐ帰ろうと思って、……まっくんの家見つけたら、すぐ帰ろうと思ってて。でも、途中で雨降ってきて、傘とか持ってきてなくって、コンビニとかでも、結局買わないで。まっくんの家、すぐ見つかると思ってたから……、傘、高かったし。でも、どんどん雨激しくなってきて、カバンも、服も、すごい濡れちゃって、それで、やっと家が見つかったとき、見つけたらすぐ帰ろうって思ってたのに、家が、家に明かりが付いてたから、それで、オレ、あそこにまっくんがいるんだって思って……まっくんに会える、って思って、それでオレ……」
「そっかあ」
 相づちを打ちながら、本当に知りたいのは、ここに来た経路じゃなくて経緯のほうなんだけど、と野田はぼんやりと思った。
「どうして、急に遊びに来たの」
「え?」
「だってなんか理由がありそうだったから。こんな雨の中傘もささないでウチまでくるなんて、なんか話したいことでもあったんじゃないの」
 亮太は答えなかった。ので、野田も放っておくことにし、じゃあ、話さなくてもいいからさ。とりあえず体拭いて服着たら、リビングの方来てくれよな。もうご飯の用意できるからさ、泊まってけよ。ご飯?と亮太が聞くので、うん。もう飯食った? ううん、まだ。そっか、今日は鍋だからさ、あったまるぜ、と言って、今度こそ野田はその場を後にした。
 ぶっちゃけ亮太くんの家出説は確かに濃厚であるだろう、と野田は思わずにはいられないのだったが、もしそうなら彼が自分から話してくれるまで待ったほうがいい気がするし、無理じいはできないな、とぐるぐる考えながら、リビングに戻ると、福島は相変わらずソファを占拠してテレビを見てゲラゲラ笑っており、野田が戻ってきたのに気づくと、福島はソファをよじ登って、背もたれ越しに「どうだった!」と尋ねてきた。
「なにが」
「何がって、何がじゃねえだろ。家出だったかどうか聞いてきたんでしょ」
「知らねえよ。聞かなかったし」
「は!? なんで!?」
「なんでって、向こうが言いたくなったら言ってくるだろ」
「ええー! まっくん何やってんのー」
「まっくんって言うなまっくんって! なんだオマエ盗み聞きしてたのかよ、性格悪いな。……だいたい本人が落ち着いて冷静になって、向こうから言ってくれるのが一番だろ、いま問い詰めてもへそ曲げちゃうかもしれないし。それにお前あの子をここに置いときたいのか、追い出したいのかどっちなんだよ」
 とまくし立てると、福島のほうも大人しくなってしまった。


 亮太と一緒に鍋を囲むことについては、特にみんなから異論もなく、むしろ量が足りるかどうかとか、こんな小さなテーブルでスペースが足りるかとか、そういう質量的な問題の方が多くのしかかってきて、キッチンの桃谷さんたちは、実は目測よりやや多めに買ってあった冷蔵庫の残りを再びあさっていた。
 とはいえ、亮太が野田の貸したスウェットに着替えて、ほかほかになりながら戻ってきたときにはもう鍋のほうも準備ができていて、みんなは付けっぱなしのテレビを見ていたり、煮立つまでのコンロの火をちらっと見たりしていたのだが、亮太がリビングに入ってくるとみんなが一斉にそっちへ視線を向けて、あっ帰ってきた、おお高校生おかえり、いい湯だったか、などと口々に言うので、亮太は若干落ち着かなそうに野田のほうを見、それからまだきょろきょろと立ちすくんでしまった。そこに福島が、おいっ、ボウズ、こっち来い!と呼びかけてポンポンと自分の座っていたソファの隣を叩き、だからそれは俺んちのソファなんだけど、と野田は思いつつも、亮太に頷きながら首で促してやって、亮太は表情を固くしながらも福島の横にちょこんと座った。
 もう大丈夫じゃないですか?と鶴橋さんが言い、桃谷さんが鍋のふたを開けて、よさそうだね、と野菜をじわじわスープの中に押しこみつつ、みんなのお椀の中に具を取り分けていった。ああ俺飲み物持ってきますね、と野田が立ち上がると、あっ店員さん俺にも生中ね、と福島が言うので、中ジョッキなんてあるわけねーだろと切り捨て、すると鶴橋さんからも、あっそういえば今日は日本酒とワインも買ってきたので、それもお願いします、とまで言われてしまって、結局五人分の飲み物とグラスを持ってくるために2往復ほどするはめになってしまった。亮太のために烏龍茶などもいちおう用意はしたのだが、おい少年、今宵は飲み明かそう、何も言うな!と福島が強引に勧め、アルハラ、と野田も止めたものの、一応飲めはする、と亮太も言うので、とりあえず今夜は大人の会合ということでという感じになった。そういえばこの時、初めて亮太は野田以外の人間と口をきいたのだった。
 野田が席に着くと桃谷さんが野田の分もお椀に取っていてくれて、嬉しそうに微笑んでいる桃谷さんからそれをうやうやしく受け取り、みんなで乾杯をして、それからはまあ五人ということで、ものすごい速さで鍋の中身も消費されていくのだった。おいボウズ、ボウズは、今いくつだ、と福島が聞き、亮太くんな、と野田が名前を呼ばない福島にフォローをしてやりつつも、「じゅ、十六です」と亮太は答え、
「えっ、マジ!? 高1か! 若い!」
「いや、あの、高2です。いちおう早生まれで……」
「えーでもそうなんだ。俺十六のころつったら何やってたかな。まだ高校やめてはなかったかな」
「えっ!」と驚いた様子で鶴橋さん。「福島君って、高校やめてたの?」
「ああうん、そだよー。野田は知ってるんだけど、俺、高校中退したんで……だから中卒っすよ俺。中卒。なはは」
「いやーそれ笑えるネタじゃねえだろ」
「え、そう? いやでも、高校生! なんつったっけ、ナントカくんよ」
「はい」
「野田くん食べてる? よそおっか?」
「あっ大丈夫です、一気に食べたらなんかお腹一杯になってきて」
「何があったかは聞かないけどさ、俺みたいに、高校とか途中でドロップアウトしちゃったやつでもさ、こうしてなんとか生きてられるわけだし。だから、他人に何と言われようともさ……なんか悩んでても、結局自分の一番好きなようにするのが一番いいと思うんだよな」
「はあ……」
「オマエ、将来有望な若者にそういう適当なこと言うなよ」
「いや誰が適当って、俺がいちばん適当だからさあ。へへ」
「あっ、桃谷さんお酒お注ぎしましょうか」
「わーすみません」
「まあ周りがなんと言おうとさ。じぶんの好きなようにやりゃあいいのよ、気楽にさ! あー楽しくなってきた! 桃谷さん飲んでますか! ほんとは前回聞こうと思って聞けなかったこともいっぱいあるんすから!」
「お前さっきからうるさい」
「ええー。で、でも、前回来た時もすっごい酔っ払ってきたって聞いたよ。そういうのはやだよー」
「分かってますよ! いや、あん時はすっごい荒れてたんっすよ。ちょっとプライベートのことで」
「野田さん、わたし鍋の追加もってきますけど、お酒いります?」
「あ、じゃあもう一本……」
「そうなんだ」
「へっへ、いやちょっと、ここだけの話っすけど、……すっげー可愛い子がいて!」
「それ鶴橋さんだろ」
「ちょ! ちっ、ち、ちっげーよお前。ちょっとやめろよ、本人今いないからって聞こえっぞ」
「お前がうるせーんだよ」
「えっ、そうなの、鶴橋さん好きなの」
「いやちょっと待って下さいよ! おい少年! お前好きな女の子いないのか」
「えっ!」
「話反らすの下手だなーオマエ!」
「好きな女の子だよ。一人くらいいるだろ?」
「えっ、あっあの、い、いないことは、ないですけど……」
「だろー? 好きな人出来るとさー、せつないじゃんか! こうぎゅーっと心が締め付けられてさ、なんでうまく行かねーんだろって、なんで簡単に一緒になれねーんだろとか、ずっと悶々してるだろ! ここんとこずっとそんな感じでさあ……」
「お前それ、アラサーの男の発言と思えねえよ」
「アラサーっつうなアラサーって! いいんだよ、心が純粋だって言えよ!」
「わあ……」
「鶴橋さんおかえり。どしたの」
「今、わたしがここに戻ってきて一番最初に思ったこと言っていい?」
「はあ」
「『体脂肪率たか!』って」
「「うっせえ!」」

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