Chapter 8

 そんな感じで夜は更けていった。
 まず、亮太にくだを巻きながら飲めない酒を飲んでいた福島が先にくたばり、鍋もひと通り食べきったあとで、みんながお酒を片手にくだらない話をしているのを尻目に、トイレを往復したあとでソファに横たわり、やがてグースカと寝始めたので、しかたなく寝床まで案内してやり、それに追随するような形でずっと眠そうだった桃谷さんも布団のほうに向かって、とりあえずのところはこれでお開きにしようか、ということになった。
 雑炊のあとの残った鍋と食器などを簡単に片付け、まだ起きていた亮太くんを既に二人が寝ている寝床へ連れていってやり(暗い中、福島はまだ布団の上でうめいていた)、それからは野田と鶴橋さんの二人で、俺いっつもこういう役なんですよね、野田さんお酒お強いからじゃないですか?などと軽く話しながら、すっかり洗い物をすませ、ちょっとまああんまりにあんまりなので、鶴橋さんだけはやや手狭な部屋に別の寝場所を用意してあげ、ひと通り仕事が終わったあとで野田がようやくリビングに戻ってくると、そこはキッチンだけ電気が付いているほかは薄暗くなっていて、誰もおらず、野田はひとりでソファにドスンと腰かけると、息をついた。
 野田自身はだいぶ前にタバコもやめてしまっていたので手持ち無沙汰で、妙に冴えてしまった眠気をどうしようか、と考えてぼーっとしていると、後ろの寝床の扉が開いた音がし、振り返ると、中からだいぶ前に寝たはずの亮太くんがおそるおそる顔を出していた。
「ど、どうした? 眠れないか?」
 野田が訊くと、起きちゃった、とやや明るく亮太くんは答え、夕方よりは打ち解けた彼の態度に野田はやや安堵して、冷蔵庫からなんか飲み物でも持ってきてよ。座って二人で話そ、と言った。亮太くんも頷き、言われたとおりにミネラルウォーターの入ったペットボトルと、棚にあったグラスを二つ持ってきて、ソファの野田の隣の席に腰掛け、それからは、お互いに言葉もなく、ふたりでただのんびりとグラスに注いだ水を飲んだ。
 今日は、ごめんな。ほら、事前に連絡でもしてくれてたらさ、もうちょいなんとかしようもあったんだけど……、と野田が弁解して詫びると、亮太くんも「ううん、ごめんなさい」と謝った。
「いやいや、いいんだよ亮太くんは……ていうか、あいつらも今日いきなり来てさ」と、グラスを片手に持ちながら寝床の部屋を指差し、おどけた調子で野田は言う。「おっかしいだろ? ほら、今日亮太くんの隣りに座ってたさ……」
「福島さん?」
「そうそう。あいつが言い出して、今日、いきなり来るっていうから」
「そうなんだ……」
「鍋やりたい!って突然言ってさ。昔っからああいうやつなんだよ。テキトーでさ。……今日、楽しかったか?」
 たのしかった。
 亮太くんは頷いて、しみじみとそう言った。すごく、楽しかった。グラスを両手で大事そうに抱えながら、まるでさっきまでの光景を、中空に思い浮かべているように、野田には見えた。
「なんだか、あったかくて、ぼーっとして……、自分が、まるで夢の中にでもいるみたいでね。すっごく楽しかった。こんな事、今まで一度もしたことなかったから。みんなで集まって、騒ぎながら、おとなに囲まれて……みんなすごいなあ、って思って……」
 亮太くんの口から出た大人という言葉に、野田はちょっと照れくさくなってしまって、大人かあ、ハハハ、俺大人かなあ? と訊くと、亮太くんは、うん。まっくんは大人だよ、と頷いて答え、野田は、そっかあ。自分じゃ、全然そんな感覚ないな、と静かに独りごちるようにつぶやいた。
「そなの?」
「そうだよ。今だって、未だに学生時代の延長みたいなところあるし……昔のことばっか考えちゃうし。大人か子供かって言ったら、まだ大人にはなれてないかな、年はとったけど……」
「そうかなあ。まっくん、カッコイイと思うけどな」
 亮太くんがなおもそう呟くので、野田はふたたび照れながら困ってしまった。グラスの中身を飲み干すと、背もたれにドスンと寄りかかり、亮太くんに優しく尋ねた。
「みんな、優しかっただろ」
「うん」
「みんなさ。亮太くんのこと心配してたんだよな。口には出さなかったけど。何かあったんじゃないかって、気が気じゃなくてさ」
「うん」
「みんな、亮太くんくらいの歳の頃にさ、いろいろ悩んだりしただろうから、他人事と思えないんだよな。自分のことみたいに親身になってさ。不安だって、みんな知ってるから。みんな、亮太くんのこと大好きなんだと思うぜ」
「うん……」
 亮太くんは、話を聞きながら、今にも泣き出してしまいそうなか細い声で、小さく頷いた。野田は、今なら亮太くんが一人でこんな所にまで来た理由を聞けるだろうか、とぼんやり思ったりもしたが、しかし話を切り出すきっかけも特になく、ここまで来たら、もう理由なんて別にどうでもいいのではないか、野暮だし、とまだ酔いの覚めきっていない頭でぼーっと考えていたところで、なんとやや意外なことに、亮太くんの方から直接、その話を切りだしてきたのだった。
「あのね……」
「うん?」
「今日、なんで来たかなんだけど」
 亮太くんは、ぼそぼそとそう言って、野田は、しばらくぽかーんとしていたのだが、やがて、お、おうっ、とびっくりして慌ててソファから体を起こしてから、次に出てくる言葉を待った。
「まっくんに、その。言いたくて……」
「はあ。なにを」
「親と、ケンカしちゃって……」
 まあだいたい、予想通りではあったのだった。
「……俺、自分がどうしたいのか、分かんなくなって」
「どうしたいのか?」
「なんて言えばいいのか、分かんないけど……。とにかくその、自分が、何したいのか分かんなくなっちゃって、それで、親とケンカして……」
「ほー。したいことって、将来のこととか?」
「将来っていうか、その、なんていうか、その……とにかく、それでまっくんに、言いたくて……」
「はあ。なにを」
「俺、まっくんのこと好きなの」
 へえ、それで……。
 と、つい続けそうになったところで、それから続く言葉はなく、野田は、おう、俺も、えっ、好きだけど、あれっ? と突然の話題に頭がついていけず、思考が完全にストップしてしまい、思わずまばたきしているところに、なおも亮太くんは先を続け、
「……だから、俺まっくんのこと好きなんだ、って気づいて、それでちょっと前に、親に、オレ将来結婚しないと思うから、ってだけ、それとなく言って、ほんとにそれだけ、伝えられればよかったんだけど……、親も何でそんなこと言うんだ、って訊いてくるし、でもなんにも言えないし、言いたくないし」
 いや、そりゃそうだ、と言いたくなる気持ちを野田はぐっとこらえた。
「それで、なんかめんどくさくなって、ケンカしちゃって、高校の友だちとかにも、言えないし、まっくんに会いたい、まっくんに会いたいって思って、それだけ思って……、それで、ホントは、会えないって分かってたんだけど、でも、こうやって、会えたから……」
「ちょ、ちょっと待って」
「え?」
「……す、好きなの? 俺のこと」
 亮太くんは、こくりと頷く。
「い、いつから?」
「ずっとだよ」亮太くんは答え、「……あ、あのね。まっくん、俺がまだ子供の頃、エッチなことしてくれりしたじゃん……? その、ちんちんとかいじったり」


 そのときの野田の頭の中の状況を説明するのは難しいが、野田はそのとき、騒々しい祭の真っただ中にいた、という比喩が一番正しく、ああ、そうだ、そういえばあれは、まだ野田が東京の大学に通うために今宮のおばさんの家に居候していた頃であったが、そのときまだ小学生で一人っ子だった亮太くんは、野田のことを突然できたお兄ちゃんのように思った……のかどうかはまあ知らないが、野田にひどく懐いて、家の中で何をするにも後ろにちょろちょろとひっついているような子であって、野田も、まあかわいらしい子もいたもんだ、と思っていたのだが、その亮太くんが、ある日、野田と一緒にせまーいお風呂に入った頃あたりから、まっくん体でかいね! あと、毛生えてんだ! そりゃ大学生だし……と、野田の陰部について興味を見せはじめ、その頃から、普段でも執拗に野田に股間タッチなぞしたり、逆に、オレのも触っていいから、と自分のものに誘ったりし始めるので、その頃には野田は、自分の性向についてある程度受け入れてはいて、いやいやいやさすがに小学生はいかんいかん、おみゃーは何を考えているんだ、などと初めは、初めは、自制心などもある程度効いてはいたものの、あまりにも幼少期の亮太くんがエロガキであり、しかも、家族で出かけたとき、ばったり近所の知り合いの人に出くわしたときなどは、さっきまでデレデレであったのに、子ども特有の人見知りを見せて一緒に歩くのを恥ずかしがったりもし、それが普段見ない子どもらしい一面を見たようで愛おしさも人一倍増し、野田もはじめは渋々といった感じだったのが、次第にノリノリで、亮太くんとキャッキャ言いながらのじゃれあいくすぐりあいなどをし始め、そうした流れが一通りあった後で、亮太、お前、オナニーって知ってる?とか話題を振ってしまい……などといった一連の記憶が、亮太くんの発言を聞き取った瞬間に、頭の奥底から急速に湧き上がって来るに至っては、向こう側から、法律違反! 法律違反! と大勢の祭の踊り衆が、野田の周りをとり囲みはじめて、野田自身も頭を抱えてうずくまり、いや、てゆーか、なんか今の口振りからして一見亮太くんのほうに非があるみたいな話の持っていき方してるけど、しでかしたのは完全に俺だからね! なに子どもに責任転嫁してんの! などと自責の念まで飛び出しはじめて、
「……まっくん、どうしたの? 嫌だった? なんか額押さえてるけど……」
「う、うん、問題ないよ?」
 完全に心の奥ではやっちまったー、何も言い逃れできねえ、と号泣したりしていたのだが、亮太くんのほうは、もう少しだけ話を続けるようで、
「……まっくんにとっては、その、ただの昔の戯れだって分かってるんだけど、でもその、ちゃんとまっくんの口から、ごめんなさいって言ってもらえれば、俺も納得できると思うし、ちゃんとこれからのことも、考えられるなって、そう思ったから……だから、その……」
 あまりに切なすぎて、野田はその時点でもう全力で謝りたい気持ちでいっぱいになっていて、亮太くんの隣で腕組みをしながら、すっかり弱り果ててしまい、こ、困ったなあ、と呟くと、亮太くんの方も、ごめんなさいそうですよね、と謝って、いやそういう事ではないのだが説明しにくく、仕方なく野田はあらためて亮太くんに向き直ると、軽く深呼吸をして、
「うん、とりあえず、好きってのには答えられないんだ。ごめんな」
 と言った。
 亮太くんは、そう言われて「……。はい……」と下を向き、黙りこくってしまって、野田は慌ててわざと明るく振る舞いながら、で、でもさ、と声をかけた。
「いや、あの、変な話なんだけどさ、なんか断る理由も結構おかしいんだよな。俺、別に、その、ノンケってわけでもなくて……」
「え?」
「いや、その、俺も……ゲイなので。でもその、もう付き合ってる人がいて、今はその人のことが好きだから、だからごめんな」
 亮太くんは、ぽかんとした表情でしばらく野田の顔を見ていた。
「そうなの? まっくん付き合ってる人いるの?」と亮太くんは聞いた。
「うん。その……桃谷さん」
 それを聞き、亮太くんはふっと顔を上げて、男どもの寝ている寝室のほうを振り返った。
「誰にも言うなよ。……本当は、亮太くんもなんとかしてあげたい気持ちもあるんだけど、でも、どうにもできないし、やっぱ俺、桃谷さんのことが一番大事でさ、裏切りたくないっていうか……あ、裏切りって言うのはその、付き合うときに決めた話で」
 野田が話を続けている間、亮太くんはいつの間にか姿勢を正して、真摯に野田の話を聞いていた。
「ピンと来ないかもしれないけど、俺たちみたいなのって、一人の相手にこだわらない、って人も沢山いてさ、でも、俺たちはお互いに、そういうのダメな人間同士だったから……。桃谷さんは、出張とかで色んなとこ行く人で、あんまり頻繁にあえる同士じゃなくてさ、この先どうするかって話になって、だから俺たちのことに関しては、あんまり会えなくても、そういうのだけはやめようってなったんだよね。……俺、その、たぶん桃谷さんのことは、世界で一番好きだな、って思うからさ」
 言ってから、野田はあっヤバイ俺すげえ気持ち悪いこと言った、と思ったのだが、案の定亮太くんも、なんだか苦笑いを浮かべており、野田もそれから慌てて謝ったのだが、そのとき後方の部屋で不意に、ガタタン、と物音がして、野田と亮太くんは両方とも身を凍らせた。
 野田は、後ろの部屋を振り返り、男どもがおそらく寝ているであろうドアの向こうをにらむと、もう物音は聞こえてきていなかったのだが、野田は亮太くんに、座って待っているようにジェスチャーで伝えると、立ち上がりドアに向かって小走りで歩いていって、素早くドアを開けた。すると内向きのドアだったので、ゴンと頭をぶつけた物音と男の悲鳴が聞こえ、やがて野田が苦虫を噛み潰したような顔で、部屋の中をのぞき込むと、額を押さえながら、こっちに向かって照れ笑いをしている福島と、その隣でいつもと同じように困ったような笑いを浮かべている桃谷さんの姿があった。

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